「江戸時代、日向往還の要路として架橋されたものである。長い間架橋年代、石工とも不明であったが近年(平成10年)、文化5年(1808)、理平の弟子理左衛門が石工と判明した。御船川眼鑑橋橋(昭和63年流失)が弘化4年(1847)の架橋であることから、それより40年近く古い。植木町の豊岡橋、享和2年(1802)等、数例しかない楔石工法で築かれている。特徴は切石の一つ一つを丁寧に川石でつなぎ、石には番号が記されている。橋の長さは7m、幅2.6m、水面からの高さ4.6mである。現存する県内の楔石工法の中では、豊岡橋についで二番目に古い。 昭和初期、県道改良工事にあたり本来の位置から移される事になったが、当時の松村熊喜村長らが計画の変更を申し入れている。当初の計画では眼鏡橋を取り壊し、西往還から来た道路を直線で現、木倉小学校入口まで伸ばすことになっていた。 現在は、松村村長らの要望にそって新しい橋がかけられ、二本の道路が川をはさんで平行に走っており、眼鏡橋は歩道として残され、今も利用されている。」