皇居の旧二重橋、日本橋、江戸橋、神田橋など数々の石橋架橋を手掛け、明治政府には強く慰留されたが、故郷の妻の病気をきっかけに勘五郎は帰郷する。残念ながら妻はすでに他界した後だったが、その後の勘五郎は以前にもまして熊本周辺での石橋架橋に尽力した。
まさに成熟期を迎えた感のあった石橋文化だったが、終焉は早かった。昭和になって手軽に使えるコンクリートが普及すると、瞬く間に石橋は廃れていった。しかし、種山石工たちの手により架けられた石橋の多くは、百数十年を経た今も現役として川の流れをまたぎ、九州の自然の中に溶け込んで美しい。
まさに成熟期を迎えた感のあった石橋文化だったが、終焉は早かった。昭和になって手軽に使えるコンクリートが普及すると、瞬く間に石橋は廃れていった。しかし、種山石工たちの手により架けられた石橋の多くは、百数十年を経た今も現役として川の流れをまたぎ、九州の自然の中に溶け込んで美しい。
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